先日、新聞を見ていて目に留まった記事がある。何でもメディアを賑わせている
杉並区立和田中学校の「
夜スペ」が、5月下旬から運営ルールを変更する
との話である。
詳細については記事をご参照頂きたいのだが、この話題に入る前にキーワード「夜スペ」について、関連記事等を確認したところで自身の解釈の範囲でご紹介したい。「夜スペ」とは「夜スペシャル」の略語の事のようで、和田中学校で夜と土曜日を利用して行われている補習の名前がこのように呼ばれているのだそうだ。
特徴としては、1.成績優良者を対象とした補習授業、つまり「ふきこぼれ対策」である、2.大学進学塾の講師により行われる有料授業である、この夜スペの目的として、前述のリンクによると、(以下、
夜スペより引用)”「私立を超えた公立校」の確立を目指します”(以上)との事。
以前、東京から盛岡に移り住んできた方とお話をさせて頂いた時に、東京では公立学校離れが進んでいるという話を聞いた。というのも、進学を考えるのであれば私立の学校へ、というのはある意味常識なそうで、この私立学校へ入学するために、よくメディアでも出てくる、いわゆる「お受験戦争」があるのだとか。
正直、事実の程は自分で体感した訳ではないのでよく分からない部分もあるが、お話を聞いた限りでは、東京においては、私立、公立というものに、特別なニュアンスが加わっているように感じた。話の続きで、そのお母さんの話では、盛岡に来てからはいわゆる「お受験戦争」が一体何だったのだろうかと思うようになってきた。改めて子どもと向き合う時間が出来たような気がするとの事。なる程、経験から比較した結果として見えてくる、良さ、悪さ、みたいなものがあるのだな、と感じた次第だ。
話を「夜スペ」に戻すと、前述の通り、「夜スペ」の大きい目標は「私立を超えた公立校」である。つまり、上記に紹介したような私立・公立の既成イメージが今回の政策立案に少なからぬ影響を与えているのではないか。つまり、このままでは公立校を選択する生徒が減少してしまう事を危惧した和田中が、であればという事で私立を超えるようなサービスを展開できないかと思案した結果の策が「夜スペ」なのではないか、という話である。
さて、前述した「夜スペ」の特徴である、選抜制、外注について、実はかなりの議論が巻き起こっているとの事。正直、テレビの報道だけ見ているとかなり肯定的な論調が多かったので概ね理解が得られた企画なのだろうなと解釈していたのだが、どうも未だ議論は続いているようだ。
コチラの記事では、
都の教育委員会が待ったを掛けたという事が話題になっているし、
コチラの記事では実施に関して賛否の意見が紹介されている。更に辛辣なのは
コチラの記事。出所が
JANJANなので、その辺はご理解頂いた上でご覧頂きたいのだが、いずれ記事全体のトーンとしては中立とはとてもいえないネガティブスタンスである。
WIKIに今回の話が纏められていたので、ここから反対派意見の纏めを引用すると、1. 機会の均等に疑義がある、2. 特定の進学塾との関係についても同じく疑義がある。3. 公務員の兼務・兼職を認めない原則から外れている。というもの。1.については受講できる生徒を選抜制にしてしまったので、教育を受ける機会に不均衡が生じているのではないか、という話。2.については単に塾が学校施設を使って営業しているだけではないのか、という話のようだ。3.についてはテキスト作成に先生が係わったという事らしい。
ここまで聞いたところで個人的に感じた所としては、結局の所、「ふきこぼれ」対策はどうなったのだ、という話。私も初めて知ったのだが、「ふきこぼれ」とは「おちこぼれ」の
反対の言葉なのだとか。平たく言えば学校の授業レベルに余力を持って付いていけるという事で、学校の授業では学力の引き上げが困難と思われる生徒、という事のようだ。
上記の内容を見ていると、特段代案が出ているわけでもなく、現在行われている改革についてただ批判しているように見える。これでは、では、この企画の発端である、ふきこぼれ対策、公立校の私立校への競争力強化にはならないだろう。ではこれらの批判を真正面から受け入れて現在の企画を放棄してしまった場合はどうか。正直現状維持であれば、逆に、ふきこぼれの切捨てにはならないか。出来る子どもは放っておけで良いのだろうか。これが公立校の魅力を著しく低下せしめている原因であるとするならばどうか。
又、公立校の私立校への競争力強化を放棄した延長線上には、お金を持っている人は私立で自分のレベルに合わせた教育を受けられる、お金が無い人は公立へ行くという事で、別のイメージ、社会的な差別の要因を作ってしまうのではないか、加えて、公立校では機会の均等を理由にした、ふきこぼれ、おちこぼれの切り捨てが行われ、結果として十分な教育が提供できないのではないか、という話である。
個人的には、各々の生徒のレベルにマッチした学習機会の均等という事を考えても良いのではないかと感じる。何しろ上記のような話に関して言えば、子どもの為に議論している人ばかりで、子どもの立場になって議論している人が少ないように思えてならないのだが。